泡瀬干潟の大きな窪地について調べました。沖縄市東部海浜開発局が調べた結果、下記の
資料が届きました。紹介しておきます。
泡瀬干潟の深掘跡について
1. 泡瀬干潟の深掘跡は昭和46〜47年頃旧泡瀬塩田組合により掘削され、その土砂は塩田跡における宅地造成工事に活用された。
2. その後、塩田跡は沖縄県による泡瀬土地区画整理事業として整備される。
3. 泡瀬土地区画整理事業
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都市計画決定 昭和50年10月15日
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決定面積 77.8ha
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事業計画決定 昭和51年10月28日
参考:「泡瀬誌 昭和63年10月 泡瀬復興期成会
「沖縄市の都市計画」平成11年2月 沖縄市
沖縄市東部海浜開発局
以下は、前川盛治(泡瀬干潟を守る連絡会事務局長)解説
1.旧泡瀬塩田組合は現在の「泡瀬復興期成会」につながる組織である。
2.塩田跡とは、現在の泡瀬三丁目(下記地図参照)の膨大な土地である。
3.掘削跡(深掘跡)とは、干潟の中央にある掘削跡(下記写真参照)である。
4.塩田跡を「干潟を掘削した土砂」で埋め、その後泡瀬土地区画整理事業が行われているから、旧泡瀬塩田組合は膨大な土地
(区画整理された土地)を手に入れたことになる。
4. 旧泡瀬塩田組合(現「泡瀬復興期成会」につながる)は、塩田跡を埋め、周辺の湿原(ヨシの湿原=干潟)を埋め立て、
その結果莫大な財産を手に入れたことになる。
現在、泡瀬護岸と護岸通りの間の土地、沖縄市ITプラザ敷地とその周辺の土地は、泡瀬復興期成会の土地であるが、上の経過で
期成会が手に入れた土地である。
4.「東部海浜開発の真実」(「泡瀬復興期成会」発行)で、失われた湿原(泡瀬の原風景)を取り戻す為に現在の埋め立て事業
(出島方式)を推進している、と述べている。これらは、過去の自らの行為(干潟をつぶしてきた歴史)を反省しない、矛盾した言動
と言わざるを得ない。過去に掘削した跡を今度は埋め立てて「出島」にしようとしている。
旧塩田跡 現在の泡瀬 三丁目 あたりの約78haの土地
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掘削跡(泡瀬干潟の中心部の大きな窪地)


